プロレス人気復活と専門誌の明暗
一時期低迷していたプロレス人気が、近年戻っている。
昭和40年代後半、ジャイアント馬場設立の全日本プロレスと2強時代を築いていたアントニオ猪木設立の新日本プロレスは、今や業界で一人勝ち状況にある。
名も知らぬインディー団体が無数にある現在の日本マット界において、他の追随を一切許さない圧倒的な勢いを誇っている。
新日本プロレス圧勝の要因はいろいろ考えられるだろうが、まず何といっても鍛え上げられた肉体を誇る身体的要素と、複数のスター選手の存在にあるだろう。
安城市出身のオカダカズチカはその190センチを超える身体と運動能力で、岐阜県大垣市出身の棚橋弘至は卓越したレスリング技術で、それぞれが現在のブームを根底から支えている。
選手層に余裕のある新日本は、主力レスラー中邑真輔のWWFへの挑戦を後押しし、年明けには彼の退団を認めてアメリカへ送り出す余裕もみせた。
これほどの人気と実力がある現在のプロレス業界なのに、テレビ放送はずっと深夜だけというのも実に不可解だ。
放映にCMスポンサーが付かないのが理由らしいが、個々の選手のレベルは抜群なだけに、残念極まりない。
もっと多くの人に今のプロレスをテレビ中継で見てほしいし、私も見たい。
仕事時間が不規則で、なかなかプロレス中継を見ることが出来ないと嘆いている大の棚橋ファンの錦の性感エステ嬢のためにも、かつてのようにゴールデンタイム復活を期待したいところだ。
私は力道山のファイトを、リアルタイムで見たことはないが、昭和43年6月にジャイアント馬場がボボ・ブラジルに負けて、インターナショナルタイトルを失った試合はわずかに記憶の片隅にある。
場所は旧の愛知県体育館であった。
ブラウン管を通して見た両者がぶつかり合う迫力は、小学生の子供にはあまりにも衝撃であった。
あのどきどきわくわく感が、本当に懐かしい。
当時、発行されていたプロレス専門雑誌は月刊誌の「ゴング」と「プロレス&ボクシング」の2誌であった。
その後、両誌は週刊誌化されたが、私が愛読していた「週刊ゴング」は、残念ながら平成に入ってから廃刊となった。
後者はその後、「週刊プロレス」となり、現在に至っている。
どこの世界も、栄枯盛衰は世の習いである。
これは名古屋のメンズエステ店も同じだろうが。